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政治家を目指すに至った原体験は小学校4年生の頃。


学校で歴史の授業を受けて、戦争に行って足に銃弾の痕も残っていた祖父に、

「どうして日本はこんなにひどい戦争をしたのか」と聞いた。

祖父は目に涙を浮かべて「俺は孫にそんなことを言われる為に戦争に行ったんじゃない」とだけ応えた。


幼心に酷い質問をしてしまったということだけは理解出来たが、学校で教わったことと祖父の回答とのギャップに大きな違和感を覚えた。

教育内容も戦争をするかしないかも政治が道筋を決めることであり、自分の違和感を解決したいと日本の政治に興味を持つ様になった。


その後、幼少期から今に至るまで、日本の失われた20年とも言われる時代を過ごしてきた。

経済のGDP規模は世界第3位なのに、何故景気は上向かず、国民は日々の暮らしや老後を心配しなくてはいけないのかと疑問に思い続けてきた。


大学では法学部で行政学を専攻して地方自治を学び、各務原市議会議員の下で議員インターンシップにも参加し、政治の現場についても勉強してきた。

就職のタイミングでは、日本の国力の源泉である経済を肌で実感したいと思い、総合商社である三菱商事株式会社に就職するに至った。


三菱商事では世界経済のダイナミックな動き、日本のエネルギー事情、世界における日本の立ち位置、合わせて日本の経済界の強みや弱みも実感した。

ニューヨーク駐在では人種の多様性や世界標準の物の考え方、日本の長所や短所等の特徴を客観的に認識することが出来た。


入社して11年が経過して、改めて日本の現状を見ても変わっていないどころか、むしろ悪化しているという危機感を持っている。


ー少子高齢化、首都圏一極集中、社会保障費の増大、日本発イノベーションの不足、

 国際社会での地位低下、産官学連携の不調、地方経済の地盤沈下ー

今に始まった議論でもなく、過去何年も議論されているのに問題の解決には至っていない。


こうした問題意識を踏まえ、自分が民間企業で働き続けても、こうした課題に直接取り組むことは出来ないことに歯痒い想いが抑えられなくなった。

子供が産まれたことも契機となって、政治の世界に飛び込んで、地元の岐阜から日本の問題点を解決し、子供達に誇れる未来を創りたいと強く想った。


岐阜は地政学上の最大のメリットである陸上交通の要衝であり、新幹線もリニアも高速道路も通っている。

岐阜を出て外から見たからこそ分かる岐阜の特徴、東海地方全体の経済力、これらを最大限活用して岐阜から日本の未来を創っていきたいと想う。

30年後、50年後の未来は誰にも分らないけれど、その分今から始めればきっと何でも出来る。


アメリカのシリコンバレーだって50年前はただの丘。

必要なことは明確な岐阜の将来ビジョンと政治の実行力。


岐阜の未来をしっかりと見据え、若さの最大の武器である「時間」と「志」を味方にして、

全ての岐阜県民が長生きで、孫の代までも幸せに暮らし続けられる岐阜県を創っていきたい。


足りない知識と経験値は、皆様のお力を何卒お貸し下さい。


各務原から創ろう。岐阜県の未来を。


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